2008年05月
2008年05月31日
プロフェッショナル 仕事の流儀
NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」という番組があります。毎週火曜日の夜10時からやってます。
この番組では、毎回その道のプロと呼ばれる人を紹介して、その人の仕事に対する信念・流儀などを、VTRや、進行役の脳科学者の茂木健一郎・住吉美紀アナとの対話を通してせまっていきます。
この番組の終わりでは、必ず出演者に「プロフェッショナルとは?」という質問を投げかけ、その人の人生や経験からくる応えを述べてもらいます。
僕はよく、自分が同じようにきかれたらどう応えるかを考えます。そこで、今日はこの質問を皆さんにしてみたいと思います。
あなたにとって、プロフェッショナルとは何ですか?
この番組では、毎回その道のプロと呼ばれる人を紹介して、その人の仕事に対する信念・流儀などを、VTRや、進行役の脳科学者の茂木健一郎・住吉美紀アナとの対話を通してせまっていきます。
この番組の終わりでは、必ず出演者に「プロフェッショナルとは?」という質問を投げかけ、その人の人生や経験からくる応えを述べてもらいます。
僕はよく、自分が同じようにきかれたらどう応えるかを考えます。そこで、今日はこの質問を皆さんにしてみたいと思います。
あなたにとって、プロフェッショナルとは何ですか?
2008年05月21日
「名」
先日もの考えをしていた時に、ふと現れて出てきた問いに気をとられた。
「山城直樹の人生とは、どういう人生だろうか?」と。
ところで、現代日本の私達は、自分の氏名というものを、そう意識していないような気がする。
でも考えてみれば自分の名前とは不思議な感覚で、自分という人間は、他人からは名前によって認識される。
自分にとっては、自分は自分なのだから、常日頃、あえて自分を意識するために自分の名前を呼んだりはしないだろう。
他人から自分の名前を呼ばれたとき、私達も「自分のことだ」とあらたまる。
そこで、「山城直樹の人生とは、どういう人生だろうか?」と自分に問うと、少し戸惑う。
なぜなら先述の通り、名前は多くの場合、他人が自分を認識するために使われるので、この質問だと、他人から見た僕の人生を、僕自身が問うことになる。
これが、「自分から見た自分の人生」なら、その問いは「自分の人生とは、どういう人生だろうか?」になる。
これなら、誰に何を言われる筋合いもない、自分の思いのままにそれを描けばよい。つまり、それは個人的なものになる。
もし僕が個人的な人生だけを考えるとすれば、それは「旅」になるだろう。僕は思いのままに、日本各地はもとより世界中を旅して回り、旅先での出会いに生きたい。
しかし、「山城直樹の人生」と考えた場合、それはより他人的なものとなり、山城直樹という人間の社会的・歴史的使命、存在意義、立場、役割といったものが問われることになる。
他人から見た山城直樹の人生を、本人である僕が考える…。もちろん、人間には想像力という神から授かった力があるので、それは可能なことではあるが、でも普段私達はそういう風には考えないので、いささか戸惑う。
当然僕は、社会的・他人的な山城直樹の人生だけに縛られる必要はない。しかしだからといって、自分だけの個人的な人生だけを送ればよい、ということでもない。
要は、僕という一人の人間の中の、この二つの人生の融合なのだと思う。それをもってして、僕にとっても、他人にとっても、つまり真の「山城直樹の人生」となる。
何より大切なことは、この二つの人生を融合させることができるのは、他の誰でもない、僕だけなのだ。「他人から見た山城直樹の人生」を主導できるのも、他人ではなく僕である。
だから、この「セルフリーダーシップ」が、自己と社会を相互実現できるのである。
そしてリーダーシップというのは、他人のセルフリーダーシップを引き出すこと。
逆転のリーダーシップです。
「山城直樹の人生とは、どういう人生だろうか?」と。
ところで、現代日本の私達は、自分の氏名というものを、そう意識していないような気がする。
でも考えてみれば自分の名前とは不思議な感覚で、自分という人間は、他人からは名前によって認識される。
自分にとっては、自分は自分なのだから、常日頃、あえて自分を意識するために自分の名前を呼んだりはしないだろう。
他人から自分の名前を呼ばれたとき、私達も「自分のことだ」とあらたまる。
そこで、「山城直樹の人生とは、どういう人生だろうか?」と自分に問うと、少し戸惑う。
なぜなら先述の通り、名前は多くの場合、他人が自分を認識するために使われるので、この質問だと、他人から見た僕の人生を、僕自身が問うことになる。
これが、「自分から見た自分の人生」なら、その問いは「自分の人生とは、どういう人生だろうか?」になる。
これなら、誰に何を言われる筋合いもない、自分の思いのままにそれを描けばよい。つまり、それは個人的なものになる。
もし僕が個人的な人生だけを考えるとすれば、それは「旅」になるだろう。僕は思いのままに、日本各地はもとより世界中を旅して回り、旅先での出会いに生きたい。
しかし、「山城直樹の人生」と考えた場合、それはより他人的なものとなり、山城直樹という人間の社会的・歴史的使命、存在意義、立場、役割といったものが問われることになる。
他人から見た山城直樹の人生を、本人である僕が考える…。もちろん、人間には想像力という神から授かった力があるので、それは可能なことではあるが、でも普段私達はそういう風には考えないので、いささか戸惑う。
当然僕は、社会的・他人的な山城直樹の人生だけに縛られる必要はない。しかしだからといって、自分だけの個人的な人生だけを送ればよい、ということでもない。
要は、僕という一人の人間の中の、この二つの人生の融合なのだと思う。それをもってして、僕にとっても、他人にとっても、つまり真の「山城直樹の人生」となる。
何より大切なことは、この二つの人生を融合させることができるのは、他の誰でもない、僕だけなのだ。「他人から見た山城直樹の人生」を主導できるのも、他人ではなく僕である。
だから、この「セルフリーダーシップ」が、自己と社会を相互実現できるのである。
そしてリーダーシップというのは、他人のセルフリーダーシップを引き出すこと。
逆転のリーダーシップです。
2008年05月17日
瞑想
瞑想とはちょっと違うと思いますが、僕は毎朝出かける前に、必ず目を閉じ、合掌した状態で5分から10分程度、そのままでいます。
瞑想は、頭の中を無にすると言われますが、僕はそれはあまり気にしません。
目を閉じ合掌したままで、何も考えない無の状態になることもあれば、頭に自然に浮かび上がる何かを考えることもあるし、自分のまわりの音(それは例えば家電の音だったり、雀の鳴き声だったり、雨音だったりします)に耳を澄ませたり、家族の息災を祈ったりなどします。
僕の瞑想には、こういう状態にならなければならない、という決まりは特にはありませんが、しいて言えば、時間を気にせずに瞑想の時間をとれるようにしたいですね。
朝瞑想をするようになったのは去年からです。去年のいつ頃からかは具体的には覚えていませんが、多分8月か9月頃だったと思います。
僕の場合、瞑想を始めて半年くらいで効果を感じ始めました。
どういう効果があるの?と聞かれても、具体的に説明することができないのですが、瞑想を実践している人にはわかる、言葉にできない「何か」あるのだと思います。
今では、夜寝る前も瞑想します。そして、寝る前に目を閉じていると当然眠くなるので、そのまま横になって寝ます笑。
皆さんも、瞑想を始めてみませんか?
特に、こうしなければといった決まり事をする必要はありません。自分にとってそれがやりやすければ、それで良いと思います。
僕も休日は終日リラックスしていることもあり、瞑想はしません。
でも続けていると、きっと辞められなくなると思いますよ。その効果を知ってしまったら。
僕も平日の朝に瞑想をしないで出かけるなんて、その日一日が乱れそうで、怖くてできません。(流れの悪い時は、瞑想をしても乱れる日もあるくらいなので。)だからどんなに時間がなくても2、3分は必ず目を閉じ、合掌します。一日たりとも、平日の朝の瞑想を欠かしたことはありません。
自分の人生を自分で主導したいのなら、瞑想だけでも、かなり大きな効果があると思います。
セルフ・リーダーシップから始まる、逆転のリーダーシップです。
瞑想は、頭の中を無にすると言われますが、僕はそれはあまり気にしません。
目を閉じ合掌したままで、何も考えない無の状態になることもあれば、頭に自然に浮かび上がる何かを考えることもあるし、自分のまわりの音(それは例えば家電の音だったり、雀の鳴き声だったり、雨音だったりします)に耳を澄ませたり、家族の息災を祈ったりなどします。
僕の瞑想には、こういう状態にならなければならない、という決まりは特にはありませんが、しいて言えば、時間を気にせずに瞑想の時間をとれるようにしたいですね。
朝瞑想をするようになったのは去年からです。去年のいつ頃からかは具体的には覚えていませんが、多分8月か9月頃だったと思います。
僕の場合、瞑想を始めて半年くらいで効果を感じ始めました。
どういう効果があるの?と聞かれても、具体的に説明することができないのですが、瞑想を実践している人にはわかる、言葉にできない「何か」あるのだと思います。
今では、夜寝る前も瞑想します。そして、寝る前に目を閉じていると当然眠くなるので、そのまま横になって寝ます笑。
皆さんも、瞑想を始めてみませんか?
特に、こうしなければといった決まり事をする必要はありません。自分にとってそれがやりやすければ、それで良いと思います。
僕も休日は終日リラックスしていることもあり、瞑想はしません。
でも続けていると、きっと辞められなくなると思いますよ。その効果を知ってしまったら。
僕も平日の朝に瞑想をしないで出かけるなんて、その日一日が乱れそうで、怖くてできません。(流れの悪い時は、瞑想をしても乱れる日もあるくらいなので。)だからどんなに時間がなくても2、3分は必ず目を閉じ、合掌します。一日たりとも、平日の朝の瞑想を欠かしたことはありません。
自分の人生を自分で主導したいのなら、瞑想だけでも、かなり大きな効果があると思います。
セルフ・リーダーシップから始まる、逆転のリーダーシップです。
2008年05月10日
「風神の門」 司馬遼太郎
昨年のNHK大河ドラマ「風林火山」をきっかけに、僕は今、歴史モノにハマりつつあります。
風林火山に影響されて、先月は日本一の侍行列祭り「信玄公祭り」をみに、甲斐甲府までいってきましたし、今年の大河ドラマ「篤姫」も毎週欠かさずみています。
そんな中、GWはとあるお方に推薦された、司馬遼太郎の歴史小説「風神の門」を読みました。
僕は小さい頃から本はあまり読まないタチで、近年こそ自己啓発系の本をよく読んでいましたが、小説なんて言えば小6の頃にほぼ全巻読破した江戸川乱歩の推理小説シリーズ以来でしょうか…。
そんな、本を読まない僕でも、この「風神の門」はハマりにハマったわさ。
関ヶ原の合戦に勝利し、徳川家康は待ちに待って天下をその手中におさめたものの、豊臣秀吉の子、秀頼と母の淀(秀吉の側室)は未だ大坂城に健在。東方と西方の風雲が、またいつ急をつげるかわからない時代の中、霧隠才蔵という日本屈指の孤独者の忍者が、何に己の生き甲斐を見出だしていくか、というようなストーリー。
特に男が読んだら絶対に面白いと思います。僕も寝る間も惜しんで本を読んだのなんて、何年振りだろうか。
次は司馬先生の「梟の城」か「国盗り物語」を読もうと思っています。しばらくは、司馬遼太郎一色になりそうです。
人間、何かにのめり込んだ時の集中力、そして吸収力は凄いもので、僕もこれまで疎かった日本史を、この機に一気に吸収することができそうです。といっても、他の物事同様、その奥深さは果てしないのだとは思いますが…。
僕の見解では、より遠く過去を遡るほどに、より遠く未来を展望できるようになる。
僕はリーダーは "Leader" である前に、時代の流れを読むことができる "Reader" でなければならい、と思います。
時代の流れを読むことができるからこそ、長期的な展望にたって現在の決断ができるし、だから今という時代をも率先することができる。
今、僕の周りが歴史で囲まれているのは、きっとそういうことなのだと思っています。
リーダーは過去を振り返り、未来を展望する。
逆転のリーダーシップです。
風林火山に影響されて、先月は日本一の侍行列祭り「信玄公祭り」をみに、甲斐甲府までいってきましたし、今年の大河ドラマ「篤姫」も毎週欠かさずみています。
そんな中、GWはとあるお方に推薦された、司馬遼太郎の歴史小説「風神の門」を読みました。
僕は小さい頃から本はあまり読まないタチで、近年こそ自己啓発系の本をよく読んでいましたが、小説なんて言えば小6の頃にほぼ全巻読破した江戸川乱歩の推理小説シリーズ以来でしょうか…。
そんな、本を読まない僕でも、この「風神の門」はハマりにハマったわさ。
関ヶ原の合戦に勝利し、徳川家康は待ちに待って天下をその手中におさめたものの、豊臣秀吉の子、秀頼と母の淀(秀吉の側室)は未だ大坂城に健在。東方と西方の風雲が、またいつ急をつげるかわからない時代の中、霧隠才蔵という日本屈指の孤独者の忍者が、何に己の生き甲斐を見出だしていくか、というようなストーリー。
特に男が読んだら絶対に面白いと思います。僕も寝る間も惜しんで本を読んだのなんて、何年振りだろうか。
次は司馬先生の「梟の城」か「国盗り物語」を読もうと思っています。しばらくは、司馬遼太郎一色になりそうです。
人間、何かにのめり込んだ時の集中力、そして吸収力は凄いもので、僕もこれまで疎かった日本史を、この機に一気に吸収することができそうです。といっても、他の物事同様、その奥深さは果てしないのだとは思いますが…。
僕の見解では、より遠く過去を遡るほどに、より遠く未来を展望できるようになる。
僕はリーダーは "Leader" である前に、時代の流れを読むことができる "Reader" でなければならい、と思います。
時代の流れを読むことができるからこそ、長期的な展望にたって現在の決断ができるし、だから今という時代をも率先することができる。
今、僕の周りが歴史で囲まれているのは、きっとそういうことなのだと思っています。
リーダーは過去を振り返り、未来を展望する。
逆転のリーダーシップです。




