2008年05月21日
「名」
先日もの考えをしていた時に、ふと現れて出てきた問いに気をとられた。
「山城直樹の人生とは、どういう人生だろうか?」と。
ところで、現代日本の私達は、自分の氏名というものを、そう意識していないような気がする。
でも考えてみれば自分の名前とは不思議な感覚で、自分という人間は、他人からは名前によって認識される。
自分にとっては、自分は自分なのだから、常日頃、あえて自分を意識するために自分の名前を呼んだりはしないだろう。
他人から自分の名前を呼ばれたとき、私達も「自分のことだ」とあらたまる。
そこで、「山城直樹の人生とは、どういう人生だろうか?」と自分に問うと、少し戸惑う。
なぜなら先述の通り、名前は多くの場合、他人が自分を認識するために使われるので、この質問だと、他人から見た僕の人生を、僕自身が問うことになる。
これが、「自分から見た自分の人生」なら、その問いは「自分の人生とは、どういう人生だろうか?」になる。
これなら、誰に何を言われる筋合いもない、自分の思いのままにそれを描けばよい。つまり、それは個人的なものになる。
もし僕が個人的な人生だけを考えるとすれば、それは「旅」になるだろう。僕は思いのままに、日本各地はもとより世界中を旅して回り、旅先での出会いに生きたい。
しかし、「山城直樹の人生」と考えた場合、それはより他人的なものとなり、山城直樹という人間の社会的・歴史的使命、存在意義、立場、役割といったものが問われることになる。
他人から見た山城直樹の人生を、本人である僕が考える…。もちろん、人間には想像力という神から授かった力があるので、それは可能なことではあるが、でも普段私達はそういう風には考えないので、いささか戸惑う。
当然僕は、社会的・他人的な山城直樹の人生だけに縛られる必要はない。しかしだからといって、自分だけの個人的な人生だけを送ればよい、ということでもない。
要は、僕という一人の人間の中の、この二つの人生の融合なのだと思う。それをもってして、僕にとっても、他人にとっても、つまり真の「山城直樹の人生」となる。
何より大切なことは、この二つの人生を融合させることができるのは、他の誰でもない、僕だけなのだ。「他人から見た山城直樹の人生」を主導できるのも、他人ではなく僕である。
だから、この「セルフリーダーシップ」が、自己と社会を相互実現できるのである。
そしてリーダーシップというのは、他人のセルフリーダーシップを引き出すこと。
逆転のリーダーシップです。
「山城直樹の人生とは、どういう人生だろうか?」と。
ところで、現代日本の私達は、自分の氏名というものを、そう意識していないような気がする。
でも考えてみれば自分の名前とは不思議な感覚で、自分という人間は、他人からは名前によって認識される。
自分にとっては、自分は自分なのだから、常日頃、あえて自分を意識するために自分の名前を呼んだりはしないだろう。
他人から自分の名前を呼ばれたとき、私達も「自分のことだ」とあらたまる。
そこで、「山城直樹の人生とは、どういう人生だろうか?」と自分に問うと、少し戸惑う。
なぜなら先述の通り、名前は多くの場合、他人が自分を認識するために使われるので、この質問だと、他人から見た僕の人生を、僕自身が問うことになる。
これが、「自分から見た自分の人生」なら、その問いは「自分の人生とは、どういう人生だろうか?」になる。
これなら、誰に何を言われる筋合いもない、自分の思いのままにそれを描けばよい。つまり、それは個人的なものになる。
もし僕が個人的な人生だけを考えるとすれば、それは「旅」になるだろう。僕は思いのままに、日本各地はもとより世界中を旅して回り、旅先での出会いに生きたい。
しかし、「山城直樹の人生」と考えた場合、それはより他人的なものとなり、山城直樹という人間の社会的・歴史的使命、存在意義、立場、役割といったものが問われることになる。
他人から見た山城直樹の人生を、本人である僕が考える…。もちろん、人間には想像力という神から授かった力があるので、それは可能なことではあるが、でも普段私達はそういう風には考えないので、いささか戸惑う。
当然僕は、社会的・他人的な山城直樹の人生だけに縛られる必要はない。しかしだからといって、自分だけの個人的な人生だけを送ればよい、ということでもない。
要は、僕という一人の人間の中の、この二つの人生の融合なのだと思う。それをもってして、僕にとっても、他人にとっても、つまり真の「山城直樹の人生」となる。
何より大切なことは、この二つの人生を融合させることができるのは、他の誰でもない、僕だけなのだ。「他人から見た山城直樹の人生」を主導できるのも、他人ではなく僕である。
だから、この「セルフリーダーシップ」が、自己と社会を相互実現できるのである。
そしてリーダーシップというのは、他人のセルフリーダーシップを引き出すこと。
逆転のリーダーシップです。
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この記事へのコメント
1. Posted by マーイ
2008年05月22日 18:27
こんにちはマーイです。
「名」について以前読んだ漫画本の「陰陽師」
の何巻かに安倍晴明が誰だかに
『「名」とは何ですか?』と質問をし、
その答えが『「呪(しゅ)」である』と答えていたのを思い出しました。
名前を付けられた時にそのように生きるのだと。藤の花は、藤となずけられて藤になるのだと。
私の名前には規という字が入っています。私はそれを定規の規、規則の規、つまり真っ直ぐになにかを定めるものと思っておりましたので、「あぁこの、進め真っ直ぐ!曲がれ直角!な性格は名前のとおりだ」と思っていましたら、つい最近、規というのはコンパスの意味があるのだと教えられました。円とは余ることなく足りぬことなし。それで周りが円満に収まるように指針を示す役目があるのかなとも思っています。
少なくも願いをこめて付けてくださった方に感謝して全うしたいと思っています。
「名」について以前読んだ漫画本の「陰陽師」
の何巻かに安倍晴明が誰だかに
『「名」とは何ですか?』と質問をし、
その答えが『「呪(しゅ)」である』と答えていたのを思い出しました。
名前を付けられた時にそのように生きるのだと。藤の花は、藤となずけられて藤になるのだと。
私の名前には規という字が入っています。私はそれを定規の規、規則の規、つまり真っ直ぐになにかを定めるものと思っておりましたので、「あぁこの、進め真っ直ぐ!曲がれ直角!な性格は名前のとおりだ」と思っていましたら、つい最近、規というのはコンパスの意味があるのだと教えられました。円とは余ることなく足りぬことなし。それで周りが円満に収まるように指針を示す役目があるのかなとも思っています。
少なくも願いをこめて付けてくださった方に感謝して全うしたいと思っています。
2. Posted by 山城
2008年05月23日 01:46
マーイさん
コメントありがとうございます。
先日紹介して頂いた「峠」、中巻を読み終わりました。河井継之助が自分とかぶって仕方ありません。中巻の終わりにある継サの次の言葉が、それを最もよく表しています。
「意見じゃないんだよ、覚悟だよ、これは。官軍に抗して起つか起たぬか。起って箱根で死ぬ。欣然屍を戦野に曝すかどうか、そういう覚悟の問題であり、それがきまってから政略、戦略がでてくる。覚悟だぜ。それが、どの藩のどの面をみてもきまってない。これじゃ百日会議をやってもきまらない。・・・、覚悟というのはつねにひとりぼっちなもので、他の人間に強制できないものだ。」
明日下巻を買います。
コメントありがとうございます。
先日紹介して頂いた「峠」、中巻を読み終わりました。河井継之助が自分とかぶって仕方ありません。中巻の終わりにある継サの次の言葉が、それを最もよく表しています。
「意見じゃないんだよ、覚悟だよ、これは。官軍に抗して起つか起たぬか。起って箱根で死ぬ。欣然屍を戦野に曝すかどうか、そういう覚悟の問題であり、それがきまってから政略、戦略がでてくる。覚悟だぜ。それが、どの藩のどの面をみてもきまってない。これじゃ百日会議をやってもきまらない。・・・、覚悟というのはつねにひとりぼっちなもので、他の人間に強制できないものだ。」
明日下巻を買います。
3. Posted by 山城
2008年05月23日 01:51
また、マーイさんの名の由来、教えて頂きましてありがとうございます。
「規」には、真っ直ぐに定める、だけでなく、方向を示すコンパスの意味があるんですね!円というのも独特の名で、ものすごく意味が深いのでしょう。最後に「全うしたい」と言われているところに、マーイさんというお人を強く感じます。これも、「覚悟」ですね。
「規」には、真っ直ぐに定める、だけでなく、方向を示すコンパスの意味があるんですね!円というのも独特の名で、ものすごく意味が深いのでしょう。最後に「全うしたい」と言われているところに、マーイさんというお人を強く感じます。これも、「覚悟」ですね。




